大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

静岡地方裁判所 昭和50年(行ウ)2号 判決

原告 佐々木きく

被告 島田労働基準監督署長

訴訟代理人 杉山昇 三谷和久 門間光雄 ほか二名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が原告に対し昭和四八年二月一七日付をもつてなした訴訟費用は厚告の負担とする。労働老災害補償保険法による遺族補償給付を支給しない旨の処分を取消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求の原因

1  原告の亡夫である佐々木鉞治(死亡当時六〇年、以下「亡鉞治」という。)は、東海飲料株式会社(以下「会社」という。)に雇傭され、静岡県志太郡岡部町内谷九三三番地の一所在の会社の本社および工場に守衛として勤務していた。

2  昭和四七年一一月一六日午後七時ころ、亡鉞治が前記場所において守衛の勤務に就いていたところ、会社に雇傭され、同じく守衛の勤務に就いていた大野謹二(以下「大野」という。)は、亡鉞治が酩酊して勤務に就いているものと錯覚し、飲酒酩酊者を就労させないように、との上司の指示を受けてもいたため、亡鉞治の就労を中止させようとして、亡鉞治を守衛所の外に呼び出し、守衛所付近の工場敷地内において亡鉞治にその旨を告げたが、亡鉞治がこれに従わなかつたため、あくまで就労を中止させようとして亡鉞治を突きとばし、その場に転倒させてその頭部をコンクリート舗装面に強打させ、よつて、同月二七日、同町内谷六五〇番地所在の日野医院において、頭蓋骨骨折による脳内出血により死亡するに至らせた。

3  右経過からして、右死亡事故は業務上の事由によるものであるから、亡鉞治の配偶者であつた原告は、労働者災害補償保険法(以下「法」という。)にもとづく遺族補償の保険給付を受ける権利を有するものというべきである。

4  そこで、原告は、昭和四八年一月一〇日、被告に対し、右給付を請求したところ、被告から請求の趣旨記載の不支給処分「以下「本件処分」という。)を受けたため、同年三月一六日、静岡労働者災害補償保険審査官に対し審査請求をしたところ、同年七月五日、請求棄却の決定を受けたので、さらに同年八月一二日、労働保険審査会に対し再審査請求をしたが、同審査会も、昭和五〇年二月二八日付をもつて請求棄却の裁決をし、右裁決書謄本はそのころ原告に送達された。

5  よつて、原告は本件処分の取消しを求めるため本訴に及んだ。

二  請求の原因に対する認否

1  請求の原因1は認める。

2  同2のうち、亡鉞治が昭和四七年一一月一六日に受傷した頭蓋骨骨折による脳内出血により同月二七日に死亡したことは認めるが、その余は争う。

3  同3は争う。

4  同4は認める。

三  被告の主張

1  本件災害の発生経過

(一) 会社における守衛勤務は昼夜交替制をとり、昼間勤務は一名で午前七時三〇分から午後七時三〇分まで、夜間勤務は二名一組で午後七時三〇分から翌日午前七時三〇分まで、と定められているが、慣行により、勤務時間内であつても、交替者が出勤すれ勤務者は引継ぎを行つて勤務を終了していた。

(二) 亡鉞治は、昭和四七年一一月一六日午後六時二〇分ころ、夜間勤務に就くために出勤し、守衛所において、同日の昼間勤務者である大野に対し、「ご苦労さん。」と声をかけたが、大野が挨拶を返さなかつたため立腹し、これを大野に難詰したところ、かえつて、亡鉞治が酒気を帯びていることに気付いた大野から、「酒を飲んでは勤務ができない。」と言われて帰宅を求められたため、押問答となり、互いに相手の感情を刺激するような言葉を発し、口論となつた。

(三) 同日午後六時二五分ころ、夜間勤務に就くため出勤してきた守衛の青木吉雄(以下「青木」という。)が右両名の口論をとりなしたところ、亡鉞治が「今日は仕事に来たのではない。」と言い出したので、青木は、右両名と相談のうえ、大野に引続き夜間勤務に就くよう依頼し、食堂の新聞綴に夕刊を綴り込みに行くよう指示したが、大野が食堂に行つている間に、亡鉞治が守衛所から自宅に電話をかけ、帰宅する旨連絡するとともに、会社を辞めたい旨口走つたため、青木がこれをなだめたところ、亡鉞治が帰宅意思を翻し、夜間勤務に就くと言い出したため、青木は、食堂から戻つてきた大野に対し、「折角頼んだが、佐々木が夜勤をするというから、帰つてくれ。」と言い、大野もこれを了承し、結局青木と亡鉞治の両名が夜間勤務に就くことにした。

四  そこで、大野は、帰り仕度をして青木に挨拶し、一旦守衛所を出たが、さきの口論に際し、亡鉞治から馬鹿野郎呼ばわりされたことが腹立たしく、一言文句を言おうと思い、私服のままの亡鉞治を守衛所の外に呼び出したところ、亡鉞治も、大野が挨拶を返さなかつたことを根に持つて再び口論を繰返し、右手で大野の左手を掴み、さらに大野の胸元に飛びかかつたため、これを避けようとした大野が亡鉞治の手を振り払つたところ、亡鉞治は足をすべらせて転倒し、後頭部をコンクリート舗装面に強打して頭蓋骨骨折の傷害を負い、同月二七日に脳内出血により死亡したものである。

2 本件処分の正当性

(一)  労働者災害補償保険(以下「労災保険」という。)の給付請求権は、労働者の業務上の事由による負傷、死亡等の災害を原因として成立するものであるが、労働者の受けた災害が右にいう「業務上の事由による災害」であるためには、労働者が労働契約にもとづき現に事業主の支配下にあること(業務遂行性)と、右災害が労働契約にもとづき事業主の支配下にあることに伴う危険の現実化したものと認められること(業務起因性)の二つの要件が必要である、と解すべきである。

(二)  これを本件について見ると、まず、本件災害には業務遂行性がない。

亡鉞治は、当日午後六時二〇分ころ酒気を帯びて出勤し、その後家人に帰宅する旨電話連絡するまでは未だ勤務に就いておらず、その後帰宅意思を翻して夜間勤務に就くことにしたとしても、酒気を帯びていたため正常に勤務しえない状態にあつた(会社就業規則一八条は、飲酒酩酊者は就業を禁止されることがある旨規定する。)から、未だ守衛としての勤務には就いていなかつたものとみるべきである。

(三)  仮に本件災害に業務遂行性があるとしても、本件災害には業務起因性がない。

亡鉞治と大野のいさかいは、もつばら私的感情の欝憤を晴らすためのものであり、業務と何ら関連のない私的闘争とみるべきである。

四  被告の主張に対する原告の認否および反論

1  被告の主張1について

(一) 同(一)は認める。

ちなみに、夜間勤務のための交替者二名のうち一名は午後六時三〇分ころ出勤するのが慣例であつた。

(二) 同(二)のうち、亡鉞治の出勤時刻、亡鉞治と大野との間に口論があつたことおよび大野が亡鉞治が酒気を帯びているものと考えてその就労をやめさせようとしたことは認めるが、亡鉞治が酒気を帯びていたことは否認する。

亡鉞治は、本来赤ら顔であるため、大野から飲酒しているものと誤解されたのである。

大野が亡鉞治を就労させまいとしたのは、かねて守衛長の稲木周蔵から酔つた亡鉞治を勤務に就けさせてはならない旨指示されていたためである。

(三) 同(三)のうち、青木と大野が夜間勤務に就くことになつたこと、大野が食堂に新聞を綴り込みに行つている間に青木のとりなしで亡鉞治が翻意して夜間勤務をすることになつたことおよび青木がそのことを戻つてきた大野に告げたことは認めるが、その余は争う。

大野は亡鉞治が夜間勤務に就くことを完全には納得していなかつた。

(四) 同(四)は争う。

亡鉞治が結局夜間勤務に就くこととし、就労に着手したところ、大野は、なおかねて守衛長から受けていた飲酒者を就労させてはならない旨の命令を遂行しようとして、亡鉞治を守衛所の外に連れ出し、同所から約三メートル離れた工場敷地内において就労の可否をめぐり議論をしていた間に、左手で強く亡鉞治の右手を払いのけたため、亡鉞治を転倒させ、本件災害を被らせたものである。

2  被告の主張2について

(一) 同(一)は争う。

現行の労災保険制度は、生存権保障の理念に導かれた労働法独自の損害賠償制度とみるべきである。

現代産業においては、多数の異なつた個性を有する従業員が同一企業のもとに集められ、有機的に結合され、無数の人間関係を生じさせられつつ複雑な仕事を共同して行うのであるから、そこには、職務に関連する一定の人間関係をめぐる摩擦が生じ、ときにはそれが喧嘩にまで発展することはある程度避けられない。

従つて、かかる喧嘩から生じた災害について、多数の労働者を雇い、それによつて多くの利潤を収めようとしている企業が補償責任を負うべきことは当然である。

労災保険制度は、このようにして生ずる個別企業め補償責任を、強制的・包括的な国営の保険制度によつて総体としての資本の補償責任に転化させようとするものであるから、その補償の範囲も、労働者の生存権保障の理念から、私法上の使用者責任の範囲を越えて、広く認められるべきである。

以上によれば、「業務上の事由による災害」の範囲は、資本に対してどこまで労働者の生活補償責任を課することができるか、という見地から決定さるべきであり、「業務遂行性」を使用者の直接支配下における労務提供状態に限定しようとする被告の見解は誤つている、といわなければならない。

(二) 同(二)は争う。

本件災害は、亡鉞治が就労することが確認され、大野が帰宅することになつてから発生したものであるから、亡鉞治の就労中の事故というべきである。

仮に亡鉄治が若干の飲酒をして出勤したとしても、かつて亡鉞治は飲酒して就労したことがあり、守衛労務の単純性・長時間性を考慮すると、若干の飲酒が就労能力を喪失させるものということはできない。

(三) 同(三)は争う。

大野が亡鉞治を強く振り払つたのは、亡鉞治を就労させまいとする意思の具現であつたから、本件災害は亡鉞治の業務と密接な関連を有しているものというべきである。

なお、大野は、亡鉞治の受傷後ただちに、会社から本件災害を業務と関連のない私的闘争に捏造するよう指示を受け、警察や被告に対し虚偽の供述をしていたが、このことも、本件災害が業務に関連していることを裏付けている。

第三証拠〈省略〉

理由

一  本件災害の発生および本件処分の経緯

原告の亡夫である亡鉞治が会社に雇傭され、静岡県志太郡岡部町内谷九三三番地の一所在の会社の本社および工場に守衛として勤務していたこと、亡鉞治が昭和四七年一一月一六日に受傷した頭蓋骨骨折による脳内出血により同月二七日に死亡したこと、原告が被告に対し法にもとづく遺族補償給付を請求したところ、被告から本件処分を受けたため、審査請求および再審査請求をしたが、いずれも棄却されたことの各事実は、当事者間に争いがない。

二  本件災害の発生経過

1  会社における守衛勤務が昼夜交替制をとり、昼間勤務は一名で午前七時三〇分から午後七時三〇分まで、夜間勤務は二名一組で午後七時三〇分から翌日午前七時三〇分まで、と定められているが、慣行により、勤務時間内であつても、交替者が出勤すれば、勤務者は引継ぎを行つて勤務を終了していたことは、当事者間に争いがなく、〈証拠省略〉によれば、会社の守衛五名の間においては、夜間勤務予定者は通常午後六時ないし六時三〇分ころ出勤し、昼間勤務者は、夜間勤務予定者二名のうち一名が出勤すれば、その時点においてただちに勤務の引継ぎを行い、帰宅するのが慣例となつていたこと、夜間勤務者は通例として出勤後ただちに守衛所備付の「夜勤日誌」に出勤時刻および自己の氏名を記入していたことの各事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

2  〈証拠省略〉を総合すると、次のような事実が認められる。

(一)  亡鉞治は、昭和四七年一一月一六日午後六時二〇分ころ、夜間勤務に就くため、弁当を持参して会社の守衛所に出勤し、昼間勤務に就いていた大野に対し、「ご苦労さん。」と声をかけたところ、たまたま大野が退勤途上の会社従業員とともに新聞を読んでいたため亡鉄治の挨拶に気付かず、亡鉞治に挨拶を返さなかつたため、これに立腹し、声を荒げて「俺がご苦労さんと言つたのに何も言わないのか。」と執拗に大野を難詰した。

(二)  大野は、亡鉞治の顔色が赤く、呼気が酒臭く、言葉遣いが荒いことおよび亡鉞治が以前に五、六回飲酒して出勤したことがあつたことから、当夜も亡鉞治が飲酒して出勤したものと判断し、かねて守衛長の稲木周蔵から酔つた亡鉞治を就労させてはならない旨指示されていたこともあつて、亡鉞治に対し、「酔つていては、今日の夜勤はできない。」と言い、口論となつたが、同日午後六時二五分ころ、もう一人の夜間勤務予定者である青木が出勤し、「夜勤日誌」に「一八・二五出勤 青木吉雄」と記入した後、亡鉞治に対し、「飲んでいるのか。」と尋ねたところ、亡鉞治が「酔つてはいない。」と答え、「俺は勤めに来たのではない。」と言つたため青木は、亡鉞治を就労させず、大野を代わりに夜間勤務に就けさせた方がよいと考え、大野に対し、引続き夜間勤務に就くよう依頼したところ、大野もこれを了承し、「夜勤日誌」に「日勤より引続き 大野謹二」と記入した。

(三)  しかるに、大野が青木の依頼により食堂の新聞綴に夕刊を綴り込みに行くため守衛所を出たところ、亡鉞治が守衛所から自宅に電話をかけ、帰宅する旨家人に告げるとともに、会社を辞めたい意向をもらしたため、これを聞いていた青木は、亡鉞治に辞職を思いとどまらせようとして、亡鉞治に対し、「今夜は早く寝て、翌朝早く起きてやればよいから。」と言つてなだめたところ、亡鉞治が翻意して夜間勤務に就く気持になり、また守衛の勤務に就くことができないほど酔つている様子もなかつたため、食堂から戻つてきた大野に対し、「折角頼んだが、佐女木さんが夜勤をやるというから、今夜は帰つてくれ。」と頼んだところ、大野もこれを了承し、帰り仕度をして守衛所の外に出た。

(四)  しかし、大野は、さきの口論に際し、亡鉞治から「馬鹿野郎。」と怒鳴られたことに対する欝憤を抑えられず、帰り際に一言だけ亡鉞治に文句を言つておこうと考え、同日午後六時四〇分ころ、守衛所の出入口から中にいた亡鉞治を呼び出したところ、亡鉞治も、大野の後を追うようにして守衛所の外に出たため、両者は出入口から約二メートル離れた会社敷地内のコンクリート舗装面上に互いに向き合つて立つたが、亡鉞治が二、三回大野の腕を掴もうとしたため、大野はこれを避けようとして左手で亡鉞治の右手を強く振り払つたところ、折からの小雨上りで舗装面が濡れていたことも手伝つて、亡鉞治は足を滑らせてその場に仰向けに転倒業務と関連のない私的闘争に捏造するよう指示をを失つてしまつた。

(五)  亡鉞治は、その後ただちに、大野および青木によつて会社付近の日野医院に担架で搬送され、同日午後七時ころ、同医院の日野和雄医師の診察を受けたが、その時の状態は、顔面が紅潮し、呼気にアセトアルデヒド臭があつたほか、意識が腺臨状態にあり、後頭部に皮下血腫が存し、またX線所見により頭蓋骨骨折が認められたため同医師は、頭蓋内出血を疑い、亡鉞治をただちに入院させたが、病状は一進一退しつつ次第に悪化し、亡鉞治は、ついに意識を回復しないまま、同月二七日午後七時五五分、同医院において死亡するに至つた。

3  原告は、亡鉞治が事故当夜飲酒していなかつた旨主張し、証人飯塚熱子、同佐々木秀子もこれに沿うような供述をしているが、前認定にかかる当夜の亡鉞治の言動、顔色、呼気のアセトアルデヒド臭および過去の亡鉞治の飲酒性向からすれば、飲酒場所および飲酒量を確定することはできないものの、亡鉞治が当夜酒気を帯びて会社の守衛所に出勤したことは確実というべきであり、右各証言はたやすく措信しがたく、他に前認定を覆すに足る証拠はない。

三  法の解釈および適用

1  法は、業務上の事由による労働者の負傷、疾病、廃疾または死亡に対して迅速かつ公正な保護をするため、労災保険の制度を設け、政府がこれを管掌することとし、労働者を使用する事業を適用事業として、その保険料を事業主に納付させるとともに、業務上の事由による労働者の災害が生じた場合には、当該労働者またはその遺族等に対し、その請求にもとづいて一定の保険給付を行うことを定めている。

右のような制度の趣旨に照らすと、労働者の災害が業務上の事由によるものと認められるためには、労働者が労働契約にもとづいて形成された使用従属関係において行動している際に(業務遂行中に)、当該事業の業務運営に伴う危険によつて(業務に起因して)災害を被つたことを要しかつそれをもつて足る、と解するのが相当であり、さらに、業務遂行中に生じた災害は、業務に起因するものと事実上推定されるが、業務遂行中に生じた災害であつても、被災者の積極的な私的行為や恣意的行為によつて生じた災害は、業務に起因しないものとして、業務上の事由による災害から除外されるものと解するのが相当である(成立に争いのない甲第一〇号証の三〔編注:青木宗也法政大学教授の鑑定書〕には、これと異なる見解の記載された部分が存するけれども、右見解は当裁判所の採用しないところである)。

これを守衛の業務について見るならば、守衛として巡視中に不法侵入者を発見し、その者の退去を求めるため、その者と格闘になつた結果受傷したような場合や、工場巡視中に機械設備の異常を発見し、これによる危険を防止するため応急措置をとつている間に、右異常により被災したような場合などは、業務に起因する災害の典型的な場合といえようが、たとえ巡視中の事故であつても、同僚の守衛と喧嘩をし、相手から暴行を受けて負傷したような場合は、一般的には業務に起因する災害ということができないものというべきである。

2  本件についてこれを見ると、二に認定したところからすれば、亡鉞治は、守衛の勤務に就くことができないほど酔つていたわけではなく、本件災害に遭う直前に青木になだめられて就労する気持になつて守衛所にとどまり、大野も青木に頼まれて亡鉞治が就労することを認め、帰り仕度をして一旦守衛所を出たのであるから、亡鉞治はその時点において大野から勤務の引継ぎを受け、守衛としての夜間勤務に就いたものというべきであり、従つて、本件災害は、業務遂行中に生じたものということができる。

もつとも、〈証拠省略〉によれば、亡鉞治は当夜の「夜勤日誌」に出勤時刻および自己の氏名を記入していないことが認められるが、〈証拠省略〉によれば、夜間勤務予定者が出勤後一〇分ないし二〇分程度遅れて右記入をすることも時にはあつたことが認められるうえ、前認定のように、亡鉞治は出勤と同時に挨拶のことを発端として大野と口論をし、家人に電話で会社を辞めたい意向をもらすなどしていることから、相当に興奮していたものというべきであり、青木になだめられて就労する気持になつたとしても、ただちに「夜勤日誌」に右記入するほどの心理的余裕があつたとは考えられないので、右記入のないことは、亡鉞治が夜間勤務に就いたことの認定の妨げになるものとはいえない。

しかし、二に認定したところからすれば、本件災害は、亡鉞治が口論に際して大野に対し侮蔑的な言辞を用い、それが大野の立腹を誘発し、最終的には喧嘩闘争に発展したことに起因するものというべきであり、亡鉞治の一連の行為は、その口論の過程において飲酒して就労することの可否をめぐる議論を生じたとしても、全体としてみれば、守衛としての本来の業務に含まれないことはいうまでもなく、それに必然的に随伴しまたは関連する行為でもなく、また業務妨害者に対し退去を求めるための必要的行為と解することもできない。

原告は、大野が、かねて守衛長から受けていた飲酒者を就労させてはならない旨の命令を遂行しようとして亡鉞治を守衛所の外に連れ出し、就労の可否をめぐつて議論をしていた間に亡鉞治を転倒させたものであるから、本件災害は亡鉞治の守衛の業務と密接な関連を有する旨主張するけれども、前認定によれば、大野は帰り仕度をして守衛所を出たときには既に亡鉞治が当夜の夜間勤務に就くこと自体はこれを了承していたものであり、大野が亡鉞治を敢えて守衛所の外に呼び出したのは、もつぱらさきの口論に際して亡鉞治から侮蔑的な言辞を受けたことに対する欝憤を晴らすため、亡鉞治に対し一言文句を言おうと思つたからであつて、守衛所の外で互いに向き合つて立つていた間にも、格別飲酒して就労することの可否をめぐる議論がなされた形跡はないのであるから、原告の右主張はその前提を欠き、採用することができない。

3  以上によれば、亡鉞治の被つた本件災害は、業務遂行中に生じたものではあるが、その業務と関連のない亡鉞治の私的行為または恣意的行為によつて生じたものというべく、業務に起因しないものというべきであるから、これを業務上の事由による死亡と解することはできない。

四  結論

よつて、本件災害が業務上の事由によるものであることを前提とする原告の請求は、その余の点につき判断するまでもなく理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 松岡登 人見泰碩 渡辺壮)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例